2006年04月07日

yobarerumonowaikenienanokamoshirenai

「今宵さん、起きているの?」

 痺れを切らしたかのように高澤藍が云った。
 今宵はベッドの上で薄目を開けて座っていた。顔を背けた角度だったので、高澤藍から見える位置ではなかった。
 陽は高く上がっているようだった。
 生暖かい春風が、細く開いた窓から病室に流れ込んでくる。

 今宵は聞こえているのかもしれなかったが、例の如く返答をするつもりはないようであった。

 しかし高澤藍は構わず続けた。
「藍ね、今宵さんと同じ部屋になるまで1人部屋だったの。猪又先生って云う先生が担当で、2ヶ月くらいそこにいたかな」
 高澤藍は笑顔でそう云った。今宵の反応を期待しているのかいないのか。
「聞こえてなくてもいいから、喋るね。煩かったら云って」
 思いつめたような笑顔の高澤藍は、活路を見出したいようだった。
「藍のお母さんは本当のお母さんじゃなくてね。でもお父さんは本当のお父さんなんだけど。藍の本当のお母さんは半年くらい前に何処かに消えちゃって……突然、本当に突然」
 涙を浮かべるかとも思ったが、淋しげに笑っただけだった。
「そしたらすぐにお父さんが今のお母さんを連れてきたの。近所のおばさんは、世間体がどうのって云ってたけど、お父さんとその人は気にしてないみたいだった」
 カーテンが風に揺れる。
「そして暫くして、藍はここに入れられたの」

 話が飛躍したようだ。
 いや、高澤藍の知りえる全てがそれだけだったのかもしれない。

「お父さんとその人は一回もここには来てないよ。藍は病気だ、だから入院しなきゃいけないって藍に云ったっきり」



                 ◆




 藍はコヨイさんに何を話しているのだろう。
 猪又先生にも云ってなかったのに。誰にも云ってなかったのに。

 コヨイの注意を引きたいだけかもしれない。
 もう一度、あの綺麗な目を藍に向けてほしいだけかも。

 だけど、誰かに話を聞いてもらいたかったのも事実だった。
 藍が知っていることは少なくて、自分でも訳がわからないことだらけであったから余計に、誰かに真実を教えてもらいたかった。
 
 頼りの今宵は涼しい表情で、風の流れを眺めていた。
 藍は小さくため息を洩らして、布団を頭から被ろうとした。


「タカザワアイの父親は一般で云う異常者だったのか」


 風と共に流れていってしまうような声だった。コヨイの声だ。

 藍は瞬時に動きを止めた。
「え?」
 
 藍に尋ねているのかもしれない、と思いたったのは数分後であった。

「そ、そんなこと絶対にないよ」

 何をこんなに慌てているのだろう。
 お父さんは普通の人だった。そうだ。間違いない。

 でも……

 何で、こんなに心臓がどきどきするんだろう。

 コヨイはそれ以上何も云わない。





                 ◆



 高澤藍は黙ってしまった。
 今宵は沈黙を守っている。

 いや、暗闇に向かって囁くように、こう云った。


「荷馬車の小牛はどこへ行く……?」
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2006年04月06日

akawakuronichikainokamoshirenai

 今日はコヨイさんもベッドに上半身を起こして、食事を摂っている。
 機械的に動く箸。
 コヨイの透けるように白い顔の近くに、艶やかな朱色の箸が寄る。そのたびに藍は、コヨイの口の端から流れ落ちる鮮血を連想してしまってどきっとしてしまう。
 
 とても、本当にとても綺麗な少女だった。
 いつも虚空を見詰めているような目は、常に薄く落されていてはっきりと開かれてはいない。
 しかし昨日一瞬だけ見た限り、彼女の目は人を引きつけるものがあった。 いや、掴んで離さない、と云う感じだ。実際に藍は、コヨイの眼差しをもう一度受けたくてたまらなくなっていた。
 コヨイの髪は真っ黒で、肩で切りそろえられていた。きっと枝毛の一本もないだろう、手入れの行き届いた髪であることが見ただけでわかる。
 
 そういえば藍には、コヨイのこと以外にもひとつ気がかりなことがあった。
 この部屋に移った昨日から、猪又先生を一度も見かけていない。怖そうなおじさん先生が昨日と今朝と来たきりだ。
 
 もしかしたら、猪又先生は藍の担当を辞めてしまったのかも……

 そう思うと、藍はたまらない悲しみに襲われた。
 この美しいけれど、得体の知れないコヨイさんと2人だけの世界に隔離されてしまったとしたら、と考えるとどうしても不安が心に押し寄せてくる。
 
 どうも、わからないことが多すぎる……

 釈然としない藍は、唯一の存在のコヨイが食事を終えて、レースのカーテンのかかった窓の方に顔を向けているようすを、また観察するように眺める。




                 ◆




 午後の日が差してきた頃、国府田が病室に入ってきた。食事を乗せた盆を持った女の看護士を従えている。

「高澤藍」
 
 国府田は唐突にそう云った。
 藍と云う少女に呼びかけた訳ではなく、ベッドの上に座った今宵に向かって云ったのだった。高澤藍は、己の名が国府田の口から発せられたので、びくっとその細い身体を竦ませた。
 国府田はそんな高澤藍には注意を払わず、続ける。
「私が高澤藍の主治医になった」
 今宵は例によって反応を示さない。一方高澤藍の方は目に見える表情の変化を起こした。
 みるみる絶望がにじみ出る。

 と。
 何の気配も見せずに、今宵が口を開いた。


「主治医……」


 そして、くすくすと笑う。
「そんな云い方もある」


「それ以外ではない」


 国府田が野太く云った。しかし今宵が答えるわけもない。

 虚無の世界に還ってしまった。

 

 暫く後、国府田と看護士は何も云わずに出ていった。




                 ◆




「ねぇ……今宵……さん?」
 
 意を決したような高澤藍の声が、白壁の部屋に響いた。

「さっきの先生に云ってたことってどういう意味なの?」
 白い蛍光灯の下、高澤藍の声は緊張のためか微かに揺れていた。
 今宵が答えを返さないことは予想がついているのかもしれない。
「あの先生も云ってたけど、私、高澤藍って云うの。よろしくね」
 明るく出された言葉も、青みがかった光の内側ではカラカラと空回りを繰り返すしかない。
「あの……」


「……タカザワアイ」


「え?」
 高澤藍は今宵が急に喋り、それも自分の名を呟いたために、驚いたようだった。
「今宵さん?」
 高澤藍の顔がぱっと輝いた。


 それから今宵は、ゆっくりとベッドに横たわり、人形のように動かなくなってしまった。
 
 高澤藍は1人残された。
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2006年04月05日

kagewatookunimieteirukamoshirenai

 時間をかけて徐々に頬を撫ぜてくる春の日差しに促されて、今宵は目蓋を薄く開いた。


                 ◆



 コヨイさんはいつ起きるのだろう。藍が頼れるのはコヨイさんしかいないのに……
 藍は、自分と変わらないほどの少女が眠る真正面のベッドを、ひどく不安な面持ちで見詰めていた。その少女は朝と云える時刻を過ぎた頃になっても、ぴくりと動かないのだった。
 先生の話によると、同室の女の子は「コヨイ」と云う名前らしい。
 藍は思い出す。
 
「藍ちゃん、明日から2人部屋だね。嬉しいかい?」
 藍は、猪又先生の目をじっと見て、相当無理をして頷いた。
「そうか」
 猪又先生は朗らかに笑った。藍はそんな彼の表情を見て、更に何も云えなくなってしまった。
 年の近い子と相部屋になることは、勿論嬉しくないわけではない。
 ただ、これ以上変化が起こるのが嫌なだけだ。
「同室のコヨイちゃんと仲良くね。先生もどんな子だかよく知らないんだけど、藍ちゃんならきっと誰とでも仲良くなれるよ」
 先生は自分の言葉に納得したように、うんうんと首を縦に動かした。黒縁眼鏡の奥の優しい瞳が、小さな藍を映している。
 藍はこの先生を好きだし、無神経だとも思わない。
 単にほんの少しだけ、注意力が足りないだけなのだ。

 コヨイさんはまだ目を覚まさない。
 痺れを切らせた藍は、そうっと音を立てないように掛け布団を剥いで、ベッド横の自分のスリッパに足を滑り込ませた。
 途端、ひやっとした感覚が足の平から背中に上ってくる。
 藍が忍び足で窓に近づくと、カーテンが僅かに揺れて、それ越しの陽光が
藍の肌の上で柔らかく動いた。
 藍は、コヨイの寝顔を覗くつもりで、1歩1歩コヨイのベッドに近づく。
 顔の下半分を毛布の中に隠して、横を向いているコヨイを見るためにはかなり傍に寄らなければならない。
 藍はひたひたと、多少の緊張を持って未だ言葉を交わしたことのないその少女に歩みを寄せた。

 と、少女の顔が見える位置。

「……ひっ」


 少女は、黒い目をじっと見開いていた。




                 ◆



 今宵はその娘が飛びずさってよろけるのを、視界の端でとらえた。
 一瞬合った眼差しが、残像でまだ残っている。
 
 今宵は身じろぎせずに、一時だけ人の映った場所を見続けた。

 今宵はさして自分以外の住人に興味を覚える訳ではないのかもしれない。
 その人間の方は、交わった視線に衝撃を覚えたのか、2度と同じ位置に現れようとはしなかった。
 
 
 夜の帳が下りるまで、今宵はそのままであった。
 まだ光が赤いうちに、国府田が入ってきて銀盆と食事を置いていった以外は、病室の静寂が破られることはなかった。
 
 
 今宵はまた、夜の闇に溶けていった。



         
                <編者註>色部分は高澤藍の手記を元に再構成されています
posted by 今宵 at 02:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月04日

koyoiwaningenkamoshirenai

 今宵が最初に見たものは、無数の黒い粒だった。
  
 ノートに鉛筆を叩きつけた跡かもしれない。
 最近苛々することが多いから、無意識のうちにやってしまったのかも。

 思考に流れた言葉は、意識の声と云うよりは、映写機による字幕に近かった。今宵の自我範囲ではない処の言葉と云うべきか。
 
 私は……

 視界が徐々に開ける。つれて聴覚も復しはじめた。
 五感が戻ってくる。

 
「私は病院に収容されている」


 今宵は目を見開いた。紅い文字が真っ白いスクリーンに映し出されたかのようだった。恐ろしく強い意識が、深泥から這い出て来たのだ。

 
 カタカタカタカタカタカタカタカタカタカタ

 
 
 今宵の意識が、覚醒した。



                 ◆
 


「気分はどうだ?」

 今宵は声のした方に虚ろな目を向けた。医療用の幅の広い、顔を覆い尽くすマスクをつけた男が今宵の横たわるベッドの脇に巨木のように立っていた。
「……」
 今宵は男の体躯をじっと瞬きもせずに見やる。男もまた、面の中に奥まった目で今宵を冷視している。
「私はお前の担当医の国府田だ。お前は私の質問に答えなければいけない」
 国府田と名乗った男は、抑揚のない声音で云った。
 今宵は男の白衣に包まれた上半身に目を落した。白妙に隠されてはいるが、男の抜かりなく鍛えられている筋が透けて見えるようだった。
「云い替えよう。お前の心身に目立った異状は感じられないか?」

「今宵はその質問に答えたくない」

 男が云い終える前に、今宵がその両唇の隙間から声を発した。短く、たったそれだけを洩らして、またすぐに還った。
 男の眉が微かにぴくりと反応した。今宵の言葉が唐突だったからかもしれないし、そうでないかもしれない。
 どちらにしてもそれが不快を示した行為であることに誤謬はない。
「それは許可されることではない」
 男は先と変わらず、意思の感じられない太い声を出した。
「……」
 それには、今宵は何も示さなかった。ただ黙って瞬きせず、男のいる方向にその目を向けているだけだった。しかし今宵が実際に見ているものは、推の及ばないものなのかもしれなかった。
 男は執着しなかった。
 今宵にもう一度一瞥をくれると、踵を返して離れていった。その身体は6歩進んで、暗がりを左手が滑る。
 そうして現れた白光の矩形に男は消えていった。


 どうやらもう夜のようだった。
 今宵は自身の両腕を順に撫でて、後の右の二の腕から突き出た針を指で探り当てた。そして躊躇いなくその鋭い針を垂直方向に引き抜く。
 自分に何かを与えていたその切っ先を目のすぐ前でくるくる回し、然程しないうちに、ぽいとベッドの脇に投げ捨てた。
 今宵の身体に流し込まれていた液は、果たして精神の安定を図るものの類だったのだろうか。
 今宵は横たわったまま、その黒い瞳を目蓋で覆った。

 
 そして、小さく微笑んだ。
posted by 今宵 at 02:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月03日

hukaikamoshirenai yoru

 私は今宵です。
 
 今宵って誰でしょう?
 今宵は、小説の登場人物です。

 だからこのブログは日記だけれど、本当のことじゃない。
 物語はフィクションだと決まっているから。

 黒目黙示録は、今宵のお話です。
posted by 今宵 at 01:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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