痺れを切らしたかのように高澤藍が云った。
今宵はベッドの上で薄目を開けて座っていた。顔を背けた角度だったので、高澤藍から見える位置ではなかった。
陽は高く上がっているようだった。
生暖かい春風が、細く開いた窓から病室に流れ込んでくる。
今宵は聞こえているのかもしれなかったが、例の如く返答をするつもりはないようであった。
しかし高澤藍は構わず続けた。
「藍ね、今宵さんと同じ部屋になるまで1人部屋だったの。猪又先生って云う先生が担当で、2ヶ月くらいそこにいたかな」
高澤藍は笑顔でそう云った。今宵の反応を期待しているのかいないのか。
「聞こえてなくてもいいから、喋るね。煩かったら云って」
思いつめたような笑顔の高澤藍は、活路を見出したいようだった。
「藍のお母さんは本当のお母さんじゃなくてね。でもお父さんは本当のお父さんなんだけど。藍の本当のお母さんは半年くらい前に何処かに消えちゃって……突然、本当に突然」
涙を浮かべるかとも思ったが、淋しげに笑っただけだった。
「そしたらすぐにお父さんが今のお母さんを連れてきたの。近所のおばさんは、世間体がどうのって云ってたけど、お父さんとその人は気にしてないみたいだった」
カーテンが風に揺れる。
「そして暫くして、藍はここに入れられたの」
話が飛躍したようだ。
いや、高澤藍の知りえる全てがそれだけだったのかもしれない。
「お父さんとその人は一回もここには来てないよ。藍は病気だ、だから入院しなきゃいけないって藍に云ったっきり」
◆
藍はコヨイさんに何を話しているのだろう。
猪又先生にも云ってなかったのに。誰にも云ってなかったのに。
コヨイの注意を引きたいだけかもしれない。
もう一度、あの綺麗な目を藍に向けてほしいだけかも。
だけど、誰かに話を聞いてもらいたかったのも事実だった。
藍が知っていることは少なくて、自分でも訳がわからないことだらけであったから余計に、誰かに真実を教えてもらいたかった。
頼りの今宵は涼しい表情で、風の流れを眺めていた。
藍は小さくため息を洩らして、布団を頭から被ろうとした。
「タカザワアイの父親は一般で云う異常者だったのか」
風と共に流れていってしまうような声だった。コヨイの声だ。
藍は瞬時に動きを止めた。
「え?」
藍に尋ねているのかもしれない、と思いたったのは数分後であった。
「そ、そんなこと絶対にないよ」
何をこんなに慌てているのだろう。
お父さんは普通の人だった。そうだ。間違いない。
でも……
何で、こんなに心臓がどきどきするんだろう。
コヨイはそれ以上何も云わない。
◆
高澤藍は黙ってしまった。
今宵は沈黙を守っている。
いや、暗闇に向かって囁くように、こう云った。
「荷馬車の小牛はどこへ行く……?」




